ルワンダの癒し

かなともです。久々に花冷えのする一日。

今日は、先週末に「ルワンダのツチに対するジェノサイド15周年」の講演に行ってきた報告です。

 

1994年、100日間で80万人が殺されたという、フツ族によるツチ族の大虐殺。

日本では映画『ホテル・ルワンダ』や『ルワンダの涙』で知った人も多い。

ラジオが虐殺を扇動する道具として使われたことも有名。

 

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イベントは、みんなも知っているルワマシラボ駐日ルワンダ大使(写真左:相変わらず紳士でした)のお話や映画『四月の残像』の上映など充実した内容だったけど、15年間という短期間にこの悲劇から立ち直ったルワンダの姿にはやはり驚いた。同時に、どうやって憎しみ合うツチ族とフツ族を一つにしていったのかが一番気になった。私の慶大ゼミ四期生のヒデは“人は人を本当に赦せるのだろうか”というテーマをもとにルワンダで長期取材し、卒業作品としてまとめた。彼の作品にも出てきたし、この日のイベントでも説明されたのが、和解を進めた“ガチャチャ”というルワンダの伝統的な草の根裁判制度。コミュニティの人たちが裁判に参加し、証言を行なっていく。(詳細はコチラを参考にね)

  

もちろん、虐殺のリーダーらは国際裁判にかけられるが、虐殺に加わった多くの普通の人たちは、ガチャチャ裁判によって自分のコミュニティで裁かれる。植民地時代前に使われていたガチャチャ裁判を適用した理由として、「裁く人より裁かれる人の方が多い」「刑務所が足りない」「経済復興するため迅速な解決が必要」などが挙げられていた。罪を裁くと同時に、ルワンダの未来に役立つ裁きが不可欠ということだろう。このガチャチャ裁判のすごいところはおそらく、ルワンダの“赦しの文化”の一部であるということ。「被害者だけでなく、加害者の心を癒す。」ヒデの映像作品で被害者のインタビューを見た限り、本当に赦すことは難しいと感じたが、それでも、彼らは「赦さないといけないのかもしれない」と思って生きているようだった。赦すことは出来ないが、赦すことへ近づくことはできるのかもしれない。ガチャチャ裁判には、不備や問題も多く、不正な裁判の可能性もあるとアムネスティなどは指摘しているが、ルワンダの人たちにとっては、西洋式より自分たちの草の根裁判で国を再建していくことが重要なのではないのだろうか。少なくとも、この虐殺はもともとベルギーの植民地化政策に原因があるわけだし、これほどまでの大虐殺になったのも西洋諸国の無関心にも問題があったのだから。

 

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レセプションで知り合ったルワンダの青年BlaiseはJICAを通して筑波大学で勉強している研修生。「ガチャチャ裁判にでたことある?」と聞くと、「もちろんさ、裁判の日は仕事も休み、みんな出なければいけないんだ」と答えた。

「お箸難しいのとケータイ代が高いのが問題」と笑顔で話すBlaise。GWは東京か横浜を案内する予定。興味のある人、是非一緒に行きましょう。