大船渡の記憶。
昨日から学生がキャンパスに戻っただけで何だかあたたかい気持ちになります。
かなともです。
先週金曜日から大船渡に行ってきました。
大船渡は今回の津波で大きな被害を受けた町の一つ。そして、私の生まれ故郷でもあります。私の二番目の兄と彼の愛犬と支援物資をトラックに載せて片道9時間。
大船渡の町に入った時、それほどひどい感じは受けませんでしたが、港に近づくと突如全てがくずれていました。
その瞬間。何なの? 目に入った光景を理解するのに時間が必要でした。


市役所の近くのおばちゃんの家は高台なので無事。
「これね、地震の前に手に入れて冷凍したアワビだよ」こんな時にも私たち兄妹をもてなしてくれます。
地震が起きたとき、そのあとの様子、亡くなった人たちのこと、町の復興や首長のこと...
その言葉を話すときの不安そうな眉や涙ぐんだ目、口を覆う手。
仕草の全てがどれだけ苦しい時間を経てきたのか、辛い思いを過ごしてきたのかを語っていたように感じます。
翌日、大船渡市役所を訪れました。
支援物資や水の配給、メッセージボード。
そして、私が訪れたかった“おおふなとさいがいエフエム”。
行ったときはちょうど放送中。高校生ボランティアがパーソナリティをやっていました。
今回の震災では各地で21もの臨時災害ラジオ局が立ち上がっており、その数からも震災の大きさが分かります。
大船渡の災害FMは、大船渡市と隣の陸前高田市に向けて周波数を2つ使って情報発信しています。俳優の渡辺謙夫妻や歌手の加藤登紀子さんなどもいらして放送にも出演したそうです。
その後、大船渡の隣の陸前高田、そして綾里に行きました。
陸前高田は何千もの松がある砂浜の美しい町で、小さい頃いつも親に連れられて遊んでいた場所。
その町がほぼ壊滅しました。
何キロにも渡って壊されてしまった地に降りた時、思考が止まりました。
人生で初めて見た光景でした。ただ、その光景が脳裏に焼付きました。
戦争経験はないけれど、まるで戦争のようだと感じるのが精いっぱいでした。

避難所だった体育館。集まった人たちを津波が襲い全員流されました。体育館の形骸の生々しさが哀しすぎました。
陸前高田市役所も直撃され、たくさんの職員の方がなくなりました。その前に立つことも辛すぎました。
何千もの松が根こそぎ流された中、たった一本だけ残った松。生き残った人たちを表しているかのようでした。

震災からひと月たった今でもその姿はあまりにも惨く、亡くなった方たちの気持ちを伝えているように感じます。
その場に降り立ったとき、メディアでは絶対に伝えられないものを受けとりました。
戦争を体験した人たち、大きな震災を体験した人たちの記憶が鮮明であり続けることが分かった気がします。
そして、それを伝え続けようと思う気持ちも初めて理解したように思います。
沢山の職員を失い、残骸の姿となった陸前高田市役所。
その姿を写真に収めていいものか躊躇っている時、後ろから
「撮るなら、そっと撮って下さい」という声がしました。
人気のほとんどない町に家や家族を失った人がポツリポツリと訪れています。
その人も町の人だったと思います。
「申し訳ありません」謝ってカメラをしまいました。
残された人たちの気持ちに寄り添っていくこと。
「またすぐ遊びに来てね。待っているからね」と涙で送ってくれたおばちゃんやお姉ちゃん。
被災地で頑張っている人たちに寄り添うことの意味について、福島に行ったとき同様、改めて考えさせられました。
復興することは忘れることでもなく、元に戻ることでもなく、前に進むことなんだと。
倒れてもなお満開に咲こうとする桜たちは美しかったです。

かなとも
- Published:
- 4.26.11 / 11am
- Category:
- かなとも事
