彼女の姿
ジョーです。9月20日の日曜日。僕は、演劇を観に行ってきました。僕が演劇を観たのは、小学校の時に学校行事として観に行って以来のことです。
演劇に興味がないから今まで観に行かなかったわけではありません。単純に、映画のように頻繁に観ることができる機会がなかった。悪く言えば、自分から観る機会を作らなかったからです。圧倒的な映画>演劇という情報量が演劇への魅力を希薄なものにしたのだと思います。演劇というものを知る機会が、僕には全く乏しかったわけです。
今回、僕が演劇を観るきっかけを作ってくれたのは、バイト先の知人でした。彼女は、芝居をして食べていくという夢を持ち、日々バイトをしながら芝居に励んでいます。僕は、そんな彼女から「芝居を観に来ない?」と誘われました。今振り返ると本当に良い機会を作ってもらったと感じています。
会場に入って驚きました。まず、会場の大きさは、去年までゼミの授業で使っていた7号館の教室をもう1回り大きくしたほどで、客席は30名前後。しかし、驚いたのはこの会場の大きさや客数ではありません。その演劇スタイルなんです。ステージと客席が向かい合うオーソドックスなスタイルとは全く違うものでした。
椅子取りゲームの一種、フルーツバスケットのように椅子を円にして、その真ん中がステージでした。つまり、会場全体がステージで、そのステージに客席がある。劇団員とお客の距離は目と鼻の先。何とも不思議な空間に感じられ、始まれば、そこはもう演劇の中の世界でしかないんだと感じられずにはいられないほどでした。
僕の記憶には、そこにあった生々しさが強く残っています。生の表情・息遣い・動き、全てがそこにありました。映画館のスクリーンやパソコンの画面、伝えきれないものが演劇にはありました。映画やネットの映像を批判的に捉えている訳ではなく、演劇にはそれらとは違った、伝える力強さがあった。そう僕は感じました。そして、劇団員たちの芝居に対する真摯で熱い姿勢から伝わってくるものが、今の僕に足りない何かを埋めてくれるかのように、心の中を輝かせながら、僕の心にしっかり焼き付けられました。
演劇が終わって、会場外の喫煙所でタバコを吸っていると、さっきまで芝居をしていた劇団員の人たちが出てきました。そこに、こうして演劇を観ることができた機会を与えてくれた彼女が「今日はありがとう」とわざわざ声を掛けに来てくれた。その言葉は、僕が先に掛けるべき言葉だったのに。それから、少し芝居のことや今日の演劇の内容のこと(フランスの哲学者ジョン・ポール・サルトル作「出口なし」)を話して、僕は「ゆっくり休んでください」と言うと、彼女はステージの片付けに行きました。その時の彼女の姿からは、疲れと言うものは微塵も感じられませんでした。疲れさえも清清しい、そんな爽やかさだけがありました。それは、彼女だけではありません。帰り際のお客さんと話している他の劇団員の人たちも彼女と同じように清清しい姿でした。それを見て僕は、今の自分に足りない何かが何なのか少しだけ分かったような気がしました。

まさに、芸術の秋だね。
- Published:
- 9.22.09 / 7am
- Category:
- おいしイイ話♪
