「救世主 紙とペン」

ワードは便利なものだ。紙とペンで文章をおこすよりはるかに時間短縮できる。キーボードに打ち込めば、画面に文字が表示されるんだから。一画一画、文字を書く作業はいらない。もちろん僕は卒論作業で便利なワードにお世話になっている。

ただ、頭の中で漠然とこう書きたいとイメージを持っても、文章にできず行き詰まることがある。
すると、PCと向き合って数十分、数時間と時間だけが過ぎていく。
今日そんな問題に直面して、喫茶店に取材した資料とルーズリーフ、筆箱を持っていき、紙とペンで文章を書くという今となっては古典的な作業で行き詰まってしまった卒論作業に対処しようと試みた。すると、ペンを握ってあまり時間を経たずして、すらりすらり書けていく。

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そして、僕はこんなふうに感じた。
PCで文章を作るのと違って、どう表現するべきかという思考と文章を起こす行動にズレがない気がした。PCで「考える・打つ」という文章化よりも、紙とペンで「考える・書く」という文章化の方が僕の中でとてもマッチしている。

もちろん文章の上手い下手は別問題。
あれだけ先生に赤ペンを入れられれば上手いと言えない。

それに、紙とペンで文章を作る方が文章の価値に重みがある気がする。なんとなく。
これは、文章の価値に限ったことだけじゃない。
face to face のコミュニケーションは携帯やPCでメールするよりもコミュニケーションの価値は重い気がする。

メディアの発達は利便性という価値を上げたけど、文章やコミュニケーションといった価値を薄くしているような気がして寂しい。
「もうそんな時代じゃないよ」と片付けられれば仕方ないけど。
ただ、文章やコミュニケーションだけでなく、経済や技術の発達とともに進んでく時代の中で、本来あるべき価値を忘れてはいけないものもあると、僕は感じる。

今日、卒論作業に行き詰まった僕を助けてくれた、救世主「紙とペン」が僕にそう訴えかけたようにも感じた。

ジョー